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白濁(五十六)

by 野原海明

「じゃあ俺、行くわ」

 坂井は言った。いつもより大きく見開かれた目、無理やりあざ笑うようにに歪められた口。

「俺、あんたにずっと隠してたこと、あるんだわ」

 そう言って短く引き笑いをした。

「……何?」

「言わない。一生言わない」

 固まった私を面白がるように言った。立ち上がり、ザックを背負う。

「先に出る。しばらく出てこないで欲しい」

 私は座ったまま、坂井を見上げた。

 なんて美しい男なんだろう、と思った。いつものように。

 私を見下す、その冷たい目も。

 坂井は片手を軽く挙げた。

「それじゃあ。もう、生涯会わないと思うけど」

「じゃあ」

 今までありがとう。そんなきれい事、口に出してなんか絶対に言ってやらない。

 振り向けなかった。

 振り向かなくても、坂井の後ろ姿はくっきりと想像できる。

 がっちりとした肩幅。少しがに股な歩き方。何度も何度も見送った、その背中。

 すっかり冷めてしまったコーヒーをすすった。気がつけば、周りの席の客は皆いなくなっていた。結構混んでいたと思ったのに。

 今、立ち上がって、追いかければ。

 全部私の気の迷いで、やっぱり好きなのはあなただけなのだ、と追いすがれば。

 もっとぐちゃぐちゃに傷つけ合いながら、それでもまだ一緒にいられるんじゃないか。

 そんな衝動に駆られた。鉛の塊を飲み込んでしまったみたいに、胸がぐうっと重くなった。

 でも、そのまま座っていた。坂井が店を出て、駅に向かうまで。私が店を出ても、もうその背中が見えなくなるまで。

(つづく)

※この物語はフィクションであり、実在する人物や団体等とは関係ありません。

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