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白濁(四十五)

by 野原海明

携帯を解約した。電話番号だけ残して、キャリアも変えてメールアドレスも替えた。坂井からのメールが大量に保存されている携帯電話を持ち歩きたくなかったから。素っ気ない要件だけのメールの合間に、まれにだけれど坂井の本音がほろっと書き込まれたものもあった。本音……であると思いたかったメール。坂井にとっても、私は特別な人間なのだと思い込めるような文面。面と向かっては歯の浮いたようなことは言えない人だった。卑猥な言葉はいくらでも湧いてくるのに。

 美里が鎌倉へ遊びに来ることになっていた。「女友達が泊まりに来るから」と坂井に嘘をついたら、唐突に連絡してみようという気になったのだ。

「鎌倉とか、元カレと行って以来だよ。結衣、おすすめの店とかある? たまには晩ご飯一緒に食べようよ」

 電話の向こうで美里ははしゃいでいた。子どもは旦那とそのお母さんに預けて、久しぶりに羽を伸ばせる、と喜んだ。三階の店を予約する。タケシさんが「一緒に生きていたい」と呟いた、あの店だ。電話に出た店主は、

「ごめんねー、テラス席しか空いてないんだけど、いいかなあ」

 と申し訳なさそうに言った。

「大丈夫です。私、テラス席好きです」

 小町通りの裏町を見下ろすそのテラスは、知らない町に来たみたいで気に入っていた。鎌倉には、あまり高いビルは無い。まるで長屋のように密集した小さな古いビルの窓に明かりが灯るのを見るのが好きなのだ。

 初めて手にしたスマートフォンは、操作が難しい。電話帳を開くと、誤操作をして誰かに電話をかけてしまいそうになる。かかってきた電話を取るのにも戸惑いそうだ。店を待ち合わせ場所にしておいてよかったと思う。しっかりした美里のことだから、店名さえ伝えておけば迷うことはないだろう。

(つづく)

※この物語はフィクションであり、実在する人物や団体等とは関係ありません。

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