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白濁(十八)

by 野原海明

 鎌倉に越してきてからは、ハイヒールを履くのをやめてしまった。なんというか、このまったりとした空気感にとんがった靴は似合わないのだ。休みの日は、真冬以外はビーチサンダルばかり履いている。そのまま砂浜に降りられるし、気が向けば海水に足を浸したっていい。

 アルゼンチンタンゴのレッスンの日だけ、ヒールのあるサンダルを履く。「ハイヒールを履いてきれいに歩けるようになる」という当初の目標はどこへやら、結局私は坂井以外の男の体に触れていたいらしい。

 坂井はもう一ヶ月もやって来ない。思わせぶりなメールだけが、忘れそうな頃にひょっこりと届く。

 その間に、高橋修二とは二回会った。どちらも、高橋のほうからメッセージが来た。

「最近よくいらっしゃいますね。今日も娘さんのところですか?」

 いつもの立ち飲み屋で並んで日本酒を呑む。今日の肴は、鮪のブツ。

「あ、今日は違うんです。ここにまっすぐ」

 常連客がガラス戸を開けて、

「おっ、修二」

 と声を掛ける。

「どうも、お久しぶりです」

 東京から通ってきている高橋も、すっかり店の顔なじみになっているらしい。私のほうに向き直り、

「なんか、居心地がいいんですよね」

 と続ける。

「東京で一人静かに呑むのもいいんですけど、来れば約束しなくても誰かに会えるっていう距離感がいいんです。鎌倉って、夜は観光客がみんな帰ってしまうから、呑兵衛の母数が空くないんでしょうね。僕みたいのは稀、というか」

「気兼ね無いのがいいですよね。約束して呑みに来たら、ずっとその人と話しをしてなきゃいけないし」

「でも、約束して会いたい人もいますよ」

 そう言って高橋は、二杯目の酒を注文した。

(つづく)

※この物語はフィクションであり、実在する人物や団体等とは関係ありません。

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