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白濁(十七)

by 野原海明

「白石さん、センスありますよ」

 アルゼンチンタンゴの先生が言う。先生というにはまだ可愛らしい、私よりも少し年下の青年だ。

「そうですか?」

「ええ。アルゼンチンタンゴは、我の強い女性にはちょっと向いていないんです。男が次にどんな動きを仕掛けてくるか、全身をアンテナのようにして察して、その動きにスムーズに身を任せられる女性が上達するんです」

 背の高い先生と踊っていると、私の顔は先生の肩にすっぽりと埋まってしまう。ハイヒールを履いた足の重心は、常に片足。それは、男の動きに瞬時に答えられるように。

 ハイヒールは、坂井からの最初の誕生日プレゼントだった。

「九センチ? こんな高いの履いたことないよ」

「練習すればすぐ履けるようになるよ」

 よろよろと、近所のコンビニに行くときにだけ履いてみる。膝が曲がってしまって、ショーウィンドウに映る自分の姿はティラノサウルスみたいだ。それでも少しずつ距離を伸ばし、ヒールの底がすり減る頃には、それなりに歩けるようになった。何度もまめができた足の裏は、ハイヒールの形に合わせてカチカチになった。

 ハイヒールを履いてみると、コンプレックスだった筋肉質の太めの脚がきれいに見えるようになった。

「コンプレックス? とんでもない。あんたの脚、エロくてとてもいいよ」

 そんなふうに坂井がおだてるから、仕事にもハイヒールを履いていくようになった。アルゼンチンタンゴを始めたのは、坂井じゃない男に触れたいという、よこしまな動機だけじゃなくて、坂井の好きなヒールを履いて、身軽に踊れるようになれば、普段ももっときれいに歩けるんじゃないかと思ったからだ。

(つづく)

※この物語はフィクションであり、実在する人物や団体等とは関係ありません。

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