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白濁(十)

by 野原海明

 裏の家の金木犀が咲いた。

 台所の窓を開けて置くと、甘い香りが部屋に流れ込んでくる。

 畳の部屋に不釣り合いな白いソファーは、ある日突然宅配業者が運びこんできた。坂井からの引越祝いだった。

 本人のほうは、やっぱり不機嫌な顔をして時折やってくる。「遠い」とか、「人が多い」とか言いながら。

 それでも、私から坂井を訪ねて行くことはない。何年もの付き合いになるのに、私は坂井の友達の一人も知らない。坂井も、私の友達を紹介しようとしても会いたがらない。

 私は、私の目で見た坂井しか知らない。

 坂井は、写真を撮られるのを嫌がった。だから、一緒に写った写真も一枚もない。

 仕事でプロフィール写真が必要になるからと、ただ一枚だけプロのカメラマンが撮った写真のデータをもらった。友達に「彼氏ってどんな人?」と訊かれたときはそれを見せる。

「お世辞じゃなくて、ほんとに格好いいね」

 と言ってくれるから、少し安心する。

 高田馬場に部屋を借りていたときには、いつ来るかわからなかった坂井が、鎌倉に越してからは月に二度、定期的にやってくるようになった。

 いつ来るかわからないと言っても、私が風邪をひいているときや、生理のときには来ない。だからわざと、体調が悪いのを隠していたこともあった。玄関で出迎えた私が咳こむと、眉を寄せて「薬くらい飲みなさいよ」と言って、踵を返す。その後に薬と、「精がつくから」と言って鰻重の弁当を届けには来たが、「うつされると仕事にならないから」と、またすぐに帰って行った。

(つづく)

※この物語はフィクションであり、実在する人物や団体等とは関係ありません。

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