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白濁(九)

by 野原海明

『交通費? いいですよ。白石さんの場合は、契約で全額出すことになってますから』

 派遣会社の労務担当に電話をして、鎌倉に引っ越した場合に交通費は支給されるのかどうか確認した。全額は無理と言われるかと思ったが、あっさりと通ってしまって拍子抜けした。

『それより、通勤大丈夫ですか。鎌倉って地の果てのイメージなんですが』

「大丈夫です。駅の近く部屋を借りれば、片道一時間ちょっとみたいです」

『ああ、それなら、多摩のほうから通ってくるスタッフとあまりかわらないですね』

「なんで鎌倉? もっと通いやすいところあるでしょうに」

 坂井はいつにも増して不機嫌そうだった。そういえば以前、小旅行で鎌倉に来たときにも終始不機嫌だった。「人が多い」だとか、「潮風で肌がべたべたする」とか。

 部屋はなかなか見つからなかった。希望していたのよりも、ずっと見晴らしも日当たりも良くなかったが、一件だけ駅まで徒歩で行ける部屋をようやく見つける。築三十年を超えるというそのアパートの二階は、窓から外を見下ろすと、近所の庭木に囲まれて宙に浮いているような感覚になった。

 鎌倉に住むのは初めてなのだと大家のおかみさんに告げると、

「あら、大丈夫よ。さみしかったらいつでも言ってくれればいいのよ」

 と大仰に肩を叩かれた。

 坂井は引越を手伝うと言うが、約束通りに来たことのない男を頼るわけにはいかない。地道に荷造りをして、運搬は引越業者に頼んだ。

 

 坂井が持ってきた中古のテレビは捨てられなかった。

(つづく)

※この物語はフィクションであり、実在する人物や団体等とは関係ありません。

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