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白濁(六)

by 野原海明

 手の届かない人が好きだ。決して振り向いてくれそうにない人。

 坂井はそういう人だった。私なんて好きにならない人。追いかけても追いかけても手に入らない。

 それから、得体の知れないところにも惹かれていた。三十代も後半になって、高校の非常勤講師をしている。授業の無い日には、別の仕事をしているらしい。

 母親と二人暮らしをしていると言うから独身だと思う。

 何度目かに一緒に飲みに行った帰りに、いちゃいちゃしたカップルの背中に悪態をついていた。

 だから、付き合っている女の人もいないのだと思う。

 坂井の授業が五限に入っている水曜日は、荷物をまとめて物理準備室を出て行く坂井の背中を追うように、慌てて片付けをして事務所のタイムカードを記入した。水曜は二人で飲みに行くのが習慣になっていた。

「たまには、うちで飲みなおしませんか?」

 だからそれは、そういうことだ。

「ちょっと遠いですけど」

「久米川でしょ? いいですよ。昔仕事で行ったことあるし」

 坂井はひょいひょいとついて来た。

 そのうち、高田馬場で飲むのを飛ばして坂井は直接久米川に来るようになった。一緒に電車に乗るのは目立ち過ぎるから、わざと帰る時間をずらすようになった。

 殺風景なアパートに、中古のテレビを持ち込んだのは坂井だった。合い鍵で先に部屋に入った坂井は、いつも畳に寝転んでテレビを見ていた。その耳元に唇を寄せて、「好き」と言ってみる。

 七年もそんなふうにしていたのに、「愛してる」とは言えなかった。

(つづく)

※この物語はフィクションであり、実在する人物や団体等とは関係ありません。

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