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白濁(二)

by 野原海明

 別れ話をしに来たのに、坂井を見つけるといつものクセで笑顔になってしまう。会えるときをいつも心待ちにしていた。高田馬場で高い部屋を借りたのは、坂井が気まぐれに寄り易いようにだった。自分では見ることのないブラウン管のテレビは、場所塞ぎだけれど坂井の為に用意していた。独りきりのときは、白い布を掛けていた。本当はテレビなんて嫌いなのだ。

 物理科非常勤講師の坂井は、週に三日だけ高校へ顔を出す。物理実験室準備室の派遣職員だった私は、先生方の授業の日と予定している実験内容を確認し、実験当日までに足りない消耗品を買い足し、壊れた備品を発注しておく。希望する先生には、実験当日に一緒に授業に出てサポートする。

 坂井は他の先生方ともほとんど口をきかない。担当する授業の直前にやってきて準備室に荷物を置いていくだけだ。特に授業のサポートを頼んでくることもなかったが、物理科主任が「坂井先生はまだあまり慣れていないから手伝ってやれ」と言うので、実験の日だけはサポートをするようにしていた。

 偏差値の高い高校はどこもそんなものなのか、生徒たちはまったく授業を聞いていない。特に、不慣れな坂井はなめられているようで、実験の説明中などは坂井の声よりも私語のほうがよく聞こえるくらいだ。春先には坂井も戸惑っているようだったが、夏休みを過ぎると「そんなもんだろう」と開き直ったみたいだ。気にせず抑揚もない声で手順を説明し、板書をするだけである。

 当然、何も聞いていない生徒たちは、実験の手順なんてわからない。それぞれの班を回り、その場その場で説明する。たまに真面目な生徒がいて、実験結果から導かれる方式について質問をされたりするけれど、事務職員の私にはさっぱりわからない。ただ、実験のやり方を教えるだけである。

 終礼が済むと、生徒たちは一斉に携帯のカメラで板書を撮影する。もはやノートを取ったりもしない。それだけで及第点が取れてしまうのだろうから、やっぱり優秀なんだろう。授業時間なんて彼らにとって無駄な暇つぶしに過ぎないのかもしれない。(つづく)

※この物語はフィクションであり、実在する人物や団体等とは関係ありません。

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